記念講演:日本の人的資本活用に向けて ~成長と生産性向上~
BNPパリバ証券株式会社 グローバルマーケット統括本部副会長 中空 麻奈 氏
人的資本とはなにか
近年、人的資本が話題になっているのは「資源に乏しい日本の重要なリソースといえる『人』を徹底的に活用してもっと強くなろう」という競争力の観点からだと思っている。人的資本と日本の構造問題には深い関わりがあり、人的資本を活用した成長戦略で企業が利益を上げたり、価値が向上したりすれば、少子化を始めとする人口減少問題や日本人の所得の低さなど、日本が抱える社会課題解決にも少なからず影響が出てくるのではないか。
人的資本には国内外に明確な定義はないが、複数の調査で「職場のメンタルヘルスの悪化は企業の損失につながる。経営戦略と人材戦略の連動、人的資本への配慮が大事。蔑ろにすると影響が大きい」という結果が出ている。これらの調査を基に、本日のこの場では「企業にとっての人的資本とは『従業員』である 。人的資本経営は、従業員の能力を存分に発揮してもらうことで、ウェルビーイングも含めた利益をあげることである」とする。
人的資本について企業に求められること
欧州議会が公表したSocial Taxonomy(投資家と金融機関に、標準化されたESG原則への準拠について企業とその業績を評価するためのフレームワークを提供するもの)では、企業の経済活動に求められる3つの主要目的は以下の通り。例えば外国の投資家から注目されるためにも、このようなポイントで「従業員に配慮している」枠組を構築する必要がある。
・ディーセントワーク(働き甲斐のある人間らしい仕事)
・生活と福祉に関する適切な基準
・利害関係者のための仕事を通じた包摂的で持続可能なコミュニティ
また、人材版伊藤レポート(通称)でも人的資本経営のフレームワークを3つの視点、5つの共通要素でまとめている。(視点:経営戦略と人材戦略の連動、As is-To beギャップの定量把握、企業文化への定着。共通要素:動的な人材ポートフォリオ、知・経験のD&I、リスキル・学び直し、従業員エンゲージメント、時間や場所にとらわれない働き方)
なお、米国にはESGをめぐる衝突があり、大統領選挙や政局次第でESG投資への流れや、人的資本に関わる開示のニーズが変わる可能性があることは無視できないが、ESGを重視するグローバルな流れの後押しにより、反ESGは大きな潮流にはならないと見られている。人的資本への取り組みに流行り廃れはないと認識しておくことが重要である。
人的資本と日本の構造問題の関係
2030~2040年代に現役世代が急激に減少し人手不足が深刻化、経済成長率への下押し圧力が予測されているが、日本の人手不足の問題は、労働に対する値付けが、そもそも間違っていることに起因するのではないか。それが日本全体の閉塞感につながっている。特にヘルスケアや物流など、多くのニーズがあり人手不足の業種は、本来は給料の調整・上昇で働き手を呼び込むべきだ。そして、よいパフォーマンスには、正しい報酬が必要なのだが、その実現は道半ばである。また、雇用の流動化、人材の流動性が高い市場を作ることが、賃金上昇、転職などの柔軟性、働き方の自由度を上げる認識も重要となる。但し、日本全体として、働きに見合った報酬、賃金上昇に向けた雇用の流動化に邁進するのであれば、収入差の発生を認めなければいけないなどの厳しい面も出てくる。それぞれが専門性を磨き、力を発揮した結果、競争力も向上していくことが望まれる。
人的資本に着目する切り口から企業が重視すべき点
日本の構造問題による競争力の低下について考えていくと、企業においては従業員の評価面で、公平性を基盤にするばかりでなく、よいパフォーマンスを発揮する人には、その働きに見合う報酬を設定する仕組みが求められると説明した。よいパフォーマンスを発揮するには、従業員一人ひとりの意識向上やリスキリングなどの努力が必要だが、前提として「支援が必要な人に、必要な時に」手が差し伸べられることが大事である。育児休業を例にすると、子どもが何歳の時に休業したいかなどは一人ひとりの事情によって異なるはず。柔軟な制度を実現することで、本当の意味で従業員のウェルビーイングを高めることにつながる。
従来の日本企業に多く見られる横並びの制度、賃金停滞で優秀な人々のモチベーションが下がった結果、競争力低下を招いてきた側面があると思う。働き手は、皆が同じではない。企業は、どの人にどのような手を差し伸べればいいのかをよく考え、制度に反映すべきだ。生産性改善、成長確保と分配で好循環を実現するには、従業員一人ひとりに応じた、きめ細やかな施策が不可欠である。プラチナキャリア・アワード受賞企業を始め、先進的な取り組みを推進する企業が増えることを期待している。