mirrorX株式会社 代表取締役 川崎 剛 氏
「ヘッドセットやコントローラーなどを使わずに、もっと手軽にメタバースを楽しめたら」。mirrorX株式会社は、スマホをテレビにつなぐだけで仮想空間を体験できるVR(バーチャル・リアリティ=仮想現実)アプリを開発しています。ソニーやamazon、Googleなどのテック企業を経て2021年にmirrorX株式会社を起業した川崎剛氏にお話を伺いました。
―VRといえば、一般的にヘッドセットやコントローラーなどが必須というイメージがありますが……?
そうですね、スマホとテレビだけで本格的な仮想空間を楽しめる私たちのシステムは世界初のものです。VRのヘッドセットは重く圧迫感があり、VR酔いの問題などもあるため、この世界に親しむ際の大きな制約となっていました。そこで、我々はもっとシンプルで実用的なVRの在り方を模索し、このシステムを開発するに至ったのです。ただ、まだ誰も成し得た事のない形でしたので、開発には想像以上の時間と労力がかかりました。現在、デモ版のアプリがApp Storeで公開されています。
―mirrorX株式会社を立ち上げる前、川崎さんはテック企業にいらっしゃったそうですね。
はい。長年、新規事業の開発や新商品の立ち上げなどに携わってきました。一番長くいたのはソニーで、思い出深いのは1997年に『VAIO』というパソコンを立ち上げたことです。商品企画の立場でチームに参画していました。その後は外資系の企業に所属し、ディレクター(執行役員)としてamazonで『amazon Echo』というAIスピーカーの日本市場への導入や、GoogleでGoogle Playストアの決済関連の仕事などをしていました。
―VRの開発をするためにmirrorX株式会社を起業されたのでしょうか?
VRの開発自体が目的ではなく、この新しい技術を使って、介護状態に陥る事のない尊厳ある高齢化社会を実現したいとの思いでスタートしました。先ずは中高年から始められるフレイル(健常から要介護へ移行する中間の段階 )予防の運動アプリを企画していますが、第一段階として認知症の予防領域に取り組むことにしました。具体的には、ウォーキングとVR を組み合わせた内容です。
―VRの世界をウォーキングできるアプリということですか?
はい、我々は「バーチャルウォーキング」と呼んでいますが、自分の足で仮想空間を自由に探索することができます。アプリをインストールしたスマホをテレビにつなぎ、その場で脚のもも上げをするだけなので、非常に手軽です。煩わしく高価なヘッドセットやコントローラーなどの専用機器は一切不要です。車酔いのような”VR 酔い”の症状とも無縁で、更にはリアルの空間が見える状態なので、足元に何かが転がっていてもすぐに気づくことができて安全です。
―画期的ですね。どのような仕組みになっているのか教えてください。
スマホカメラで撮影したユーザーの動きをAI が3 Dの骨格情報として検出するのです。その動きをゲームエンジンに送り、テレビに映し出されたアバターにリアルタイムで伝達する仕組みです。これまでのVRで全身の動きを捉えるには「トラッカー」と呼ばれるセンサーを腕、腰、膝、足首などの全身に装着する必要がありましたが、私たちのシステムならばそれも不要です。デバイスフリーで誰でも気軽にVRの世界を楽しめます。
―専用機器がいらないのは非常に手軽ですね。
この手軽さが一番の特徴です。全身の動きをリアルタイムでアバターに反映する身体性(モーションキャプチャー)や、 離れた家族や友人のアバターを招待して同じ空間で一緒に楽しめる社会性、撮影された画像がインターネットに送信されることのない安全性も特徴です。
―高齢者が利用するうえで操作は難しくないのですか?
簡単な動作だけで操作できるメニュー画面を開発しました。たとえば、両手を上げるとメニュー画面が現れます。上体を左右にひねるとアイコンボタンが回転して入れ替わります。右手を上げる、もしくは両手を合わせると中央のボタンが起動し、紐付いたプログラムや 設定変更などができます。 アバターの操作自体もシンプルで、足踏みをするとアバターが前進し、上体を左右にひねると進行方向が変わります。
―画面上のアバターを見ながら運動するという点は、『Nintendo Switch』のフィットネスソフト『リングフィット アドベンチャー』と共通するところがありますね。
モーションキャプチャーの観点でいうと、技術的には大きく違います。リングフィットで検出できる身体の動きは、太ももに装着した『レッグバンド』と、両手で握った輪っか型の『リングコン』の2箇所だけです。つまり、あらかじめCGとして作られた映像がこの2つの動きをキーにしてプログラミングされた応答をしているだけで、自分の動きそのものではないのです。ですので、仮にプレイヤーが転んでもリングフィット上のアバターが転ぶことはありません。一方、我々のアプリでは全身16箇所の動きを検出しているので、アバターも転びます。また、リングフィットはあくまで2Dの世界なので360度自由に仮想空間を移動できるかというと、そうではありません。
―なるほど、そのような違いがあるのですね。2Dではなく3Dにこだわるのは拡張性を考えてのことでしょうか?
はい、スマホで再現できるデータ容量であれば、たとえば地図を3Dにしたデジタルツインの世界と連携したり、仮想旅行を楽しむなど、いろいろな可能性と使い道がありそうだと考えています。同じ3D空間に家族や友達を招待して、一緒に仮想空間を歩いたり探索することもできます。
―ウォーキングとVRを組み合わせた意図は何ですか?
高齢化が進み、今日本には認知症の患者が600万人以上いると言われています。認知症というのは一度発症するとおおよそ不可逆的であり、薬も進行を遅らせるだけで根本的に有効な治療法はありません。40代や50代から静かに進行する病気であり、早期発見も難しいです。
他方で、1日3800歩を歩くだけで発症リスクが25%下がるというイギリスの大規模追跡調査の結果があります。その調査によると、9800歩を歩くと発症リスクは50%まで下がる(※1)そうです。また、最近行われた東京大学の比較試験では、 VRを使って高齢者に仮想旅行を体験してもらったところ、認知症の予防につながる視空間能力の改善が見られた(※2)そうです。ウォーキングとVR を組み合わせれば、認知症の予防効果を最大化できるのではないかと考えました。
―たしかに、このシステムなら外に出ることが難しい人でも手軽に運動できそうです。
外出の散歩等と比較してどちらが優れているかということではなく、「今日は忙しくて外に行けなかった」、「気候・天候が不向きだった」という日に使ってもらうなど、双方を上手く組み合わせた結果として運動量が増えればいいなと考えています。ちなみに、足踏み(もも上げ)というのは、実は普通のウォーキング以上に運動負荷が高いのです。筋肉量増強に最も適した運動と言われています。20〜30分も真剣にやると汗だくになりますよ。
―そこまで運動負荷が高ければ健康効果も期待できそうです。今後はどのように展開していく予定でしょうか?
健康経営や健康寿命の増進に取り組んでいる健康保険組合あるいは保険会社などと連携するビジネスモデルを考えています。アバターの招待や運動量に応じてのポイント発行といった機能もこれから開発していきますので、一緒にこのアプリの開発と社会実装に取り組んでいただける企業やベンチャーキャピタル等のパートナー、また、「VRとウォーキングを組み合わせると認知症の予防効果を最大化できるのではないか」という仮説を実証する比較試験を一緒に行ってくれる研究機関を探しています。
※1 https://jamanetwork.com/journals/jamaneurology/fullarticle/2795819
『Intensity With Incident Dementia in 78 430 Adults Living in the UK』(JAMA Intern Med. 2023; 183(2):170-171. doi: 10.1001/jamainternmed.2022.6004)
※2 『Visuospatial Abilities and Cervical Spine Range of Motion Improvement Effects of a Non-Goal-Oriented VR Travel Program at an Older adults Facility: A Pilot Randomized Controlled Trial』(Augmented Humans 2023)
社名:mirrorX株式会社(ミラーエックス) |
創立:2021年5月 |
従業員数:5名(契約社員含む) |
主な事業内容:スマホとテレビだけで楽しめるVRアプリの開発 URL:http://mirrorx.com |
本稿は、ICF会員として、社会課題解決のために共に活動するベンチャー企業を紹介するシリーズ記事です。